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オピニオンopinion

家庭単位の交流の必要性

京都大学名誉教授/京都平和大使協議会議長 渡辺 久義

 「修身斉家治国平天下」という言葉は、戦前まではよく使われたが、戦後はこれが古い「封建的」道徳だとして目の敵にされ、長ったらしいこともあって、それ以来ほとんど誰も口にしなくなった。しかし、これは我々の社会の健全化・再建の要諦というべき言葉であって、これを排したことが、いじめを始めとする現在の社会悪をつくり出したと言ってもよい。我々の運動では、これを易しく言い換えて、「人づくり、家庭づくり、国づくり」と言っている。

 この古い儒教の教えのポイントは2つあって、「修身」(個人完成)から始めることで「治国・平天下」(国と世界の安定化)が達成できるということと、その間に「斉家」(家庭完成)がなければならず、これを飛ばしてはならないということである。

 いわゆる左翼の主張はこれを逆にするものだった。世の中をよくしようと思えば、悪いことができないような社会の仕組みをまず作らなければならない、個人や夫婦・家庭などは後からついてくる、という考え方であった。これは社会革命がまず起こらねばならないという考え方で、ますますひどい混乱と悪を生み出すことになった。

 実は、革命は一人ひとりの心の中で起こらねばならない。しかしここから一足飛びに、その原理を国家・世界に適用することはできない。夫婦・家庭が個人と社会をつなぐ存在として、社会の最小単位としてあるのだから、ここが崩れたままで国家や世界がよくなるということはあり得ない。

 家庭はいわば、社会をまとめる“扇の要” のようなものであって、ここが壊れれば全体がバラバラになる。これは考えてみれば当たり前のことのようだが、少なくともわが国ではそうでなかった。「公私の別」を尊重するのは美風だが、家庭を完全に「私」の側に組み込むことによって、これをおろそかにしてきたのではないだろうか。日本国憲法に家庭条項がないのも、それを反映しているのかもしれない。

 1つの地域の家庭の崩壊率が30%を超えると、その地域全体の青少年の不良化が始まるという統計結果がある。本当だろうかと思っていたら、関西のある市でまさにそれが起こっているらしい。「ここでは離婚禁止法を作らないと、全くどうにもなりまヘんな」と本気で言っている人がいた。間違いなく 「本気」であった。友達の家に遊びに行くと、いつもお父さんやお母さんが入れ替わっている、しかもその地域の子供はそれを怪しいとも思わない、というようなことになったとしたら――考えるのも恐ろしいではないか。

(Monthly News Letter「ファミリー・プロミス」より)